巡り来る



「俺3月ってキライ」
眠っているとばかり思っていた田島の言葉に、花井はまどろみかけていた意識をはっきりさせようと瞬いた。
頭をもたげて、花井の胸に顔を埋めるように頭を乗せていた田島の顔を見下ろすと、不満そうな視線とぶつかり合い花井はかすかに眉間に力をこめた。

田島は時折すぐには理解できない事を言う為、動きの鈍っている頭を回転させる。
だが、田島がそんな事を言い始めた理由を思いつくことが出来ず、花井は観念して口を開いた。
「理由は?」
「サミシクなっから」

簡潔すぎる理由だが、花井はようやく一つの理由に思い当たって声を洩らした。
「たった四年じゃねぇか。時々帰って来っし」
「俺等が一緒に居た時間より短ぇじゃん!」
がばりと身を起こした田島は、腕を花井の両脇に突いて見下ろすと顔をゆがめた。
「だから、3月なんて大っキライだ」

そう言い切った田島に、花井は半ば呆れながらも喜んでしまっている自分に苦笑した。
花井はこの4月から県外の大学に進学し、一人暮らしを始める。
進みたい進路の関係で、どうしてもその大学が良かったのだが、高校進学の時と同じく、家族を思って自宅通学が可能な大学に進学した田島とは離れてしまう事になってしまった。

高校に入学してすぐに出会った田島とは、同じ部活に所属する仲間であると同時にライバルであり、そして恋人同士という関係にある。
自分より高みに居た田島に追いつき、追い抜こうと足掻いていた日々の中、些細な事をきっかけに自分の中で育っていた異質な感情に気付き、その動揺のままに田島にぶつけてしまったのは高校一年の冬だった。
自分の中で持て余した感情をそのままぶつけてしまい、二度と目も合わせてもらえないだろうと思っていたが、真剣に受けとめた田島は、その大きな度量で花井の感情を受け入れて飲み込んだ。

男同士であり、またライバルでもあるが故に衝突する事も多かったが、今ではもうお互いに無くてはならない存在になり、離れてしまうまでの僅かな時間を惜しんで逢瀬を繰り返している。
今日も勉強を口実に花井の家に泊まりこんでいるのだが、コトに及ぼうとする田島を押し留める交換条件として一緒に眠っているのだ。
お互い、家族が家に居る時には自重する事を約束しているのだが、寸暇を惜しんで触れ合いたいのも事実で、直接肌を触れ合わせる事が出来ないのは辛かった。

もう深夜を過ぎた時間のため、少々大きな声を出しても家人に聞かれる心配は無いだろうが、それでも配慮するように田島に注意すると、不承不承花井の隣に横たわった田島に向き直って笑った。
「お前、ホントに俺の事好きなんだな」
「え?!なにそれ!もしかして今まで疑ってたのか?」
驚いて起き上がろうとする田島を、花井は慌てて制した。

出会った頃とは比べ物にならないほど大きくなっている田島は、今ではもう花井とそれほど身長の差が無い。
体格もお互いにかなり良くなっているため、花井が普段使っているベッドで一緒に横になると、寝返りを打つたびにどこかが悲鳴のような軋みを上げる為、今も床に敷いた布団の中だ。
「疑ってんじゃなくて、田島が俺の事を本気で好きでいてくれるって分かって嬉しいんだよ」
なだめるようにそう言うと、珍しく田島の頬が高潮した。

あけっぴろげな性格の田島は、普段からきわどい言葉を平気で言い放つ事が多いし、誰かに褒められたとしても満面の笑顔を浮かべるだけだ。
しかし、誰よりも近くで田島を見るようになってから、花井は時折照れている田島を目にするようになった。
それが、自分しか知らない田島の表情だと知ったときの快感は忘れられない。
もうしばらくすると、そんな思い出だけを頼りにする生活が始まるのだと思うと切ない気持ちになったが、将来のため、自分の進路は曲げられない。

花井は田島に小さく呼びかけると、その体を優しく抱きしめた。
すぐに田島の腕が花井の体に絡みつき、痛いほどの力で抱きすくめられる。
言葉を交わさなくても、花井が望んだ事を感じ取ってくれる田島という存在に酔いしれながら、花井は目を閉じた。
「なぁ田島」
「ん?」
この頃、少し髪を伸ばし始めた花井の頭を撫でるのがお気に入りらしい田島は、返事をしながらもその手を止めなかった。
その心地良さにうっとりとしながら、花井は笑みを浮かべた。

「ひとつ予言してやるよ」
「予言?」
問い返されるのと同時に手が止まってしまい、少し残念に思いながらも花井は確信の持てる未来を思い描いて、笑みを深くした。

「お前、3月が一番好きになるよ」
「え?なんで?」
「理由は秘密。まぁ何年かしたら教えてやるよ」
怪訝そうな田島の言葉に花井はくつくつと咽喉の奥で笑いながら、3月が好きになっているであろう田島を思い描いた。

200歳までの壮大な夢を持っている田島は、このまま順当に行けばプロ野球の世界に足を踏み入れるだろう。
高校卒業後すぐに、と誘いをかけてきた球団もあったので、不意の故障などが無い限り、いつかはテレビの向こうに田島の姿を見るようになる。
その頃にはきっと、いよいよ始まるオープン戦やシーズンを前にして舞い上がり、早く3月にならないかとカレンダーとにらめっこをしている田島を目にするのだろうなと想像して、花井は吐息を洩らした。

その時、田島の傍に居る為に花井はこれからの四年間を過ごす。
夢を自ら叶えに行くための時間ではあるが、田島の云う通り、寂しさは拭えない。
しかし、四年後の春に笑って再会できるように、今はそれを胸の奥にしまいこんだ。

しつこく理由を問い質そうとする田島を諌め、眠るよう促すと、花井は田島の腕に囚われたまま眠る事に意識を向けた。
その瞬間、田島が鋭い声を上げた。
何事かと再び目を開いて田島の顔を見上げると、嬉しそうに目を細めた田島が花井の額に口付けた。
「分かった。俺が3月好きになる理由」
「え?」
突然の言葉に驚いていると、田島は子供のように目を輝かせて笑った。
「花井が四年後の3月に帰って来っからだ」
「は?」

思いがけない言葉に動揺していると、その反応を自分が正解を言い当てたからだと思ったらしい田島が、今度は音を立てて花井の唇に口付けた。
「覚悟しとけよ花井。俺、花井が帰ってきたら絶対離れないからな」
顔は笑っているのに、輝きを宿したまま決して笑っていない目を見て、花井はぞくりと体を震わせた。
田島にとってはただの宣言なのかも知れないが、花井にとってそれは命令だった。

田島が飽きるまで、否、たとえ田島が飽きたとしても、死ぬまで魂ごと田島という存在に隷属し続けるように言い渡されておきながら、幸せに身を震わせる自分を嘲笑しながら、花井もまた田島の唇に口付けた。
熱を帯び始めた本能を何とか理性で押し止めながら唇を離すと、花井はこつりと額を突き合わせた。
「お前には負けるよ、田島」
花井の降伏宣言に、田島は勝者の笑みを浮かべた。

2011.03.26.

Platinum★bullet/クロエさま

inserted by FC2 system